フィギュアスケート女子シングルで活躍する三宅咲綺(みやけ・さき)選手。
2026年10月には近畿フィギュアスケート選手権大会で2連覇を達成し、同年11月にはグランプリシリーズ・カナダ大会で初出場ながらショートプログラム4位につけるなど、注目度が高まっています。
そんな三宅選手について、「どんな経歴の持ち主なの?」「出身高校や大学はどこ?」「坂本花織選手とはどんな関係?」と気になっている人も多いのではないでしょうか。
実は三宅選手は、小学1年生のときに祖父の勧めでスケートを始め、学生時代のスランプやけがを乗り越えてきた苦労人でもあります。
また、大学時代には競技を続けることに悩んでいましたが、坂本花織選手との出会いが大きな転機となりました。
今回は、三宅咲綺選手のwiki風プロフィールをはじめ、出身高校・大学などの学歴、幼少期から現在までの経歴、家族や坂本花織選手との関係について詳しく紹介します。
三宅咲綺のwiki経歴プロフィール!年齢・身長・出身地は?
まずは、三宅咲綺選手の基本プロフィールを紹介します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 三宅咲綺 |
| 読み方 | みやけ・さき |
| 英語表記 | Saki Miyake |
| 生年月日 | 2002年11月23日 |
| 年齢 | 23歳(2026年11月1日時点) |
| 出身地 | 岡山県倉敷市 |
| 身長 | 154cm |
| 出身高校 | 岡山理科大学附属高校 |
| 出身大学 | 岡山理科大学 |
| 学部 | 経営学部 |
| 競技 | フィギュアスケート女子シングル |
| 所属 | シスメックス |
| 主な指導者 | 中野園子、グレアム充子 |
| 趣味 | 釣り、料理、ポケモンカード集め |
三宅咲綺選手は、岡山県倉敷市出身のフィギュアスケーターです。
2002年11月23日生まれで、2026年11月現在は23歳。
2026年11月23日の誕生日で24歳になります。
身長はシスメックスの公式プロフィールで154cmと紹介されています。
なお、一部のスポーツメディアでは155cmと掲載されていますが、この記事では所属先が公表している154cmを採用しています。
三宅選手は2025年4月1日からシスメックスに所属し、中野園子コーチらの指導のもとで競技を続けています。
三宅咲綺の名前の読み方は?
三宅咲綺選手の名前は「みやけ・さき」と読みます。
「咲綺」という漢字は少し珍しいため、初めて見た人は読み方に迷うかもしれません。
英語表記は「Saki Miyake」です。
シスメックスや日本スケート連盟の公式プロフィールでも、この名前で紹介されています。
三宅咲綺の学歴まとめ!出身高校・大学はどこ?
三宅咲綺選手の学歴について調べたところ、出身高校と大学が確認できました。
| 学校 | 学歴 |
|---|---|
| 小学校 | 学校名は未確認 |
| 中学校 | 学校名は未確認 |
| 高校 | 岡山理科大学附属高校 |
| 大学 | 岡山理科大学経営学部 |
高校と大学は、大学公式サイトや本人への取材記事でも確認されています。
一方、小学校と中学校については、今回確認した主要な公開資料では具体的な学校名を特定できませんでした。
三宅咲綺の出身高校は岡山理科大学附属高校
三宅咲綺選手の出身高校は、岡山県岡山市にある岡山理科大学附属高校です。
高校時代からフィギュアスケートに力を入れており、同校には三宅星南選手や門脇慧丞選手など、競技に取り組む仲間もいました。
高校では部活動の時間を利用して練習時間を確保できたため、競技に集中しやすい環境だったようです。
この時期に習得したのが、三宅選手の大きな武器となる3回転トーループから3回転トーループにつなぐ連続ジャンプでした。
もともとスケーティング技術には定評がありましたが、難度の高い連続ジャンプを習得したことで、シニアで戦うための力を伸ばしていきます。
高校1年生のシーズンには、初めて全日本フィギュアスケート選手権に出場。
2018年大会では20位となりました。
そして翌2019年の全日本選手権では12位に入り、翌シーズンの強化選手に選ばれています。
しかし、高校時代には腰椎分離症などのけがにも苦しみました。
順調に成績を伸ばしていた一方、けがによって満足に練習できない時期もあったのです。
三宅咲綺の出身大学は岡山理科大学経営学部
高校卒業後は、岡山理科大学に進学しました。
学部は経営学部です。
2022年12月の大学公式サイトでは、三宅選手が経営学部2年生として紹介されています。
大学では経営組織論を専攻し、フィギュアスケートの練習と学業を両立させていました。
ただし、大学時代は決して順調だったわけではありません。
所属するスケート部の運営が活発ではなかったため、リンクの貸し切り手配や競技団体への登録など、練習以外の仕事も自分で行う必要があったそうです。
さらに、試合本番では練習どおりの演技ができず、結果が出ないことに悩んでいました。
こうした苦労を経験する中で、坂本花織選手との出会いが転機となります。
三宅咲綺の出身中学校・小学校は?
三宅選手は岡山県倉敷市で生まれ育ちました。
岡山理科大学の公式記事では、倉敷市児島の出身と紹介されています。
ただし、出身小学校と中学校の具体的な学校名については、確認できる情報が限られています。
中学校時代は秦安曇コーチの指導を受け、競技を続けていました。
中学3年生になる頃には、全日本ジュニア選手権に出場するまでに成長しています。
三宅咲綺の経歴① 小学1年生でスケートを始めたきっかけは祖父!
三宅咲綺選手がフィギュアスケートを始めたのは、小学1年生の冬でした。
実は、もともと三宅選手が興味を持っていたのはフィギュアスケートではなく、バレエだったそうです。
小さい頃からバレエを習いたいと両親にお願いしていた三宅選手。
そのことを知っていた祖父が、氷の上で踊るフィギュアスケートを勧めてくれました。
そして、倉敷市内にあったヘルスピア倉敷のスケートリンクへ連れて行ってもらったことが、競技との出会いになったのです。
初めて滑った日に才能を見いだされた
驚くことに、三宅選手は初めてスケートリンクで滑った日に、インストラクターから素質を認められたそうです。
スケートを始めたばかりの子供としては珍しい身体の使い方をしていたことが評価され、祖父がその日のうちにクラブへの入会手続きを済ませました。
こうして、三宅選手のフィギュアスケート人生が始まります。
競技を始めて間もない頃には大会にも出場し、短期間でジャンプやスピンを習得。
スケートの楽しさを知った三宅選手は、毎日のようにリンクへ通うようになりました。
小学生なのに深夜1時から練習していた!
三宅選手の幼少期のエピソードで特に驚くのが、練習時間です。
岡山理科大学の公式記事によると、小学3年生頃までは学校が終わった後に練習し、いったん帰宅して睡眠を取った後、深夜1時から再び約90分滑る日もあったそうです。
しかも、こうした生活を週に2〜3回続けていました。
練習の送迎を担当していたのは母親だったといいます。
幼い頃から競技に夢中になり、家族もその挑戦を支えていたことがわかります。
三宅咲綺の経歴② 小中学校時代には長いスランプも
順調にスケートを始めた三宅選手ですが、その後は苦しい時期も経験しています。
小学3年生頃から、試合になるとジャンプがうまく跳べなくなるようになりました。
練習では問題なくできることが、本番になるとできなくなってしまう状態だったそうです。
そのため、小学4年生から中学2年生頃までは、期待したような成績を残せない時期が続きました。
父親からスケートをやめてもいいと言われたことも
思うように結果が出ない娘を見て、父親は何度も競技をやめてもよいと伝えていたそうです。
しかし、三宅選手はスケートを続けることを諦めませんでした。
中学1年生の頃には秦安曇コーチの指導を受けるようになります。
当時のコーチも三宅選手の将来性を信じ、長期的に指導する意思を父親に伝えました。
その後、少しずつ試合でのミスが減り、中学3年生になる頃には全日本ジュニア選手権への出場を果たしています。
この時期に経験したスランプとその克服は、その後の競技人生にも大きな意味を持っていたのでしょう。
三宅咲綺の経歴③ 坂本花織との出会いで神戸に移籍!
三宅咲綺選手の経歴で、大きな転機となったのが2022年春の神戸への移籍です。
大学進学後も、三宅選手は試合本番で思うような演技ができずに悩んでいました。
そんなときに話す機会があったのが、世界トップクラスのフィギュアスケーターである坂本花織選手でした。
三宅選手が試合での失敗について相談すると、坂本選手は前向きな考え方を伝えてくれたそうです。
それが大きな刺激となり、三宅選手は練習環境を変えることを決意します。
坂本花織と同じ中野園子コーチのもとへ
三宅選手は2022年春、坂本花織選手らが所属していた神戸クラブに加入しました。
指導を受けることになったのは、中野園子コーチです。
同じリンクには坂本花織選手や三原舞依選手など、世界で活躍する選手たちもいました。
高いレベルの選手と練習することで、三宅選手は競技への向き合い方を見直していきます。
また、移籍後に迎えた2022年の全日本選手権では、ショートプログラムで66.29点を記録し、5位発進という好成績を残しました。
最終順位は15位でしたが、練習環境を変えた効果が少しずつ表れ始めていました。
母親が片道3時間の送迎を続けていた!
神戸への移籍には、家族の大きな支えもありました。
当初、三宅選手は岡山理科大学に通いながら、兵庫県で練習する必要がありました。
そのため、母親が車で片道約3時間の送迎を続けていたそうです。
早朝練習に間に合わせるため、深夜に出発することもありました。
数か月後には兵庫県に住まいを借りることになりましたが、それまでは家族の協力によって練習環境が支えられていたのです。
こうしたエピソードからも、三宅選手が多くの人に支えられながら競技を続けてきたことがわかります。
三宅咲綺の経歴④ 全日本選手権で飛躍しシスメックス所属へ
神戸移籍後、三宅選手は徐々に成績を伸ばしていきました。
2023年の西日本選手権では2位に入り、2024年には同大会で初優勝。
2024年の全日本選手権でも9位に入りました。
こうした実績を重ねた結果、2025年4月1日からシスメックスとの所属契約が実現します。
シスメックスは、坂本花織選手や三原舞依選手なども所属してきた企業です。
三宅選手にとっては、これまで一緒に練習してきた先輩たちと同じ企業に所属することになりました。
2025年には国際大会で初の表彰台
2025年9月には、CS木下グループ杯に出場。
国際大会デビューとなったこの大会で、ショートプログラム70.29点を記録し、最終的に3位に入りました。
この大会は、三宅選手にとって競技人生の新たな一歩となりました。
さらに2025年11月の西日本選手権では、トリプルアクセルを成功させて優勝。
合計209.41点という高得点を記録し、大会2連覇を達成しています。
同年12月の全日本選手権では9位に入り、国内トップ選手として実績を重ねました。
三宅咲綺の経歴⑤ 2026年は大けがから復帰してGPシリーズ初出場!
2026年は、三宅咲綺選手にとって試練の多い年となりました。
3月にはアイスショーの練習中に転倒し、骨盤を骨折。
神戸新聞の取材によると、約1か月間は歩くことも難しく、氷上練習を再開できたのは約2か月後だったそうです。
さらに9月には肺の病気で入院するなど、体調面でも苦しい時期が続きました。
それでも三宅選手は競技への意欲を失わず、練習を重ねて復帰しました。
2026年10月の近畿選手権で2連覇!
2026年10月12日に行われた近畿フィギュアスケート選手権大会では、トリプルアクセルを成功させて優勝。
ショートプログラムとフリースケーティングの合計は199.43点でした。
前シーズンに続いて大会2連覇を達成し、けがからの復活を印象づけました。
23歳でグランプリシリーズ初出場!
そして2026年10月30日から11月1日にかけて開催されるグランプリシリーズ・カナダ大会への出場が決まりました。
三宅選手にとって、23歳で初めてのグランプリシリーズ出場です。
10月31日(日本時間11月1日)のショートプログラムでは、自己ベストを更新する71.95点を記録。
初出場ながら4位につけ、好スタートを切りました。
10代で国際舞台に進出する選手も多いフィギュアスケート界において、三宅選手は苦しい時期を乗り越えながら、23歳で大きなチャンスをつかんだ選手といえるでしょう。
三宅咲綺の主な大会成績を一覧で紹介!
ここまでの三宅咲綺選手の主な競技成績をまとめました。
| 年 | 大会 | 結果 |
|---|---|---|
| 2018年 | 全日本選手権 | 20位 |
| 2019年 | 全日本選手権 | 12位 |
| 2020年 | 全国高校スケート選手権 | 3位 |
| 2022年 | 全日本選手権 | 15位 |
| 2023年 | 西日本選手権 | 2位 |
| 2024年 | 西日本選手権 | 優勝 |
| 2024年 | 全日本選手権 | 9位 |
| 2025年 | CS木下グループ杯 | 3位 |
| 2025年 | 西日本選手権 | 優勝 |
| 2025年 | 全日本選手権 | 9位 |
| 2026年 | 近畿選手権 | 優勝 |
| 2026年 | GPスケートカナダ | SP4位(11月1日時点) |
高校時代から全日本選手権に出場していた三宅選手ですが、国際大会で目立った実績を残すようになったのは20代に入ってからです。
そのため、順風満帆なエリート選手というよりも、長年の努力を積み重ねて成長してきた選手といえるでしょう。
三宅咲綺の得意技はトリプルアクセル!ジャンプの特徴は?
三宅咲綺選手の大きな武器は、ダイナミックなジャンプです。
高校時代には、3回転トーループから3回転トーループにつなぐ連続ジャンプを習得しました。
その後もジャンプの技術を磨き、2025年には高難度のトリプルアクセルを試合で成功させています。
トリプルアクセルとは?
トリプルアクセルは、3回転半するジャンプです。
フィギュアスケートのジャンプの中でも難度が高く、女子選手で成功できる選手は限られています。
三宅選手は2025年の西日本選手権でこのジャンプを成功させ、優勝につなげました。
2026年10月の近畿選手権でも成功させており、三宅選手の大きな武器となっています。
また、長い手足を生かした優雅なスケーティングや、大きく跳ぶ連続ジャンプも特徴です。
技術面だけでなく、音楽に合わせた華やかな演技も魅力といえるでしょう。
三宅咲綺と坂本花織の関係は?同じクラブの先輩だった!
三宅咲綺選手と坂本花織選手は、神戸の同じ練習環境で競技に取り組んできた間柄です。
三宅選手が2022年春に神戸クラブへ移籍するきっかけになったのも、坂本選手との交流でした。
試合本番に苦手意識を抱えていた三宅選手にとって、坂本選手の前向きな考え方は大きな刺激になったそうです。
また、神戸への移籍後は中野園子コーチの指導のもと、坂本選手や三原舞依選手と一緒に練習するようになりました。
坂本花織の引退後は神戸組を引っ張る存在に
2026年には、坂本花織さんや三原舞依さんが競技生活を引退しました。
そのため、三宅選手は神戸の練習グループを引っ張っていく立場としての自覚を持つようになったといいます。
2026年10月の神戸新聞の取材では、先輩たちのように、後輩に努力する姿を見せながら一緒に成長していきたいという思いも紹介されていました。
かつて坂本選手に支えられた三宅選手が、今度は後輩を支える立場になりつつあるというのも興味深いですね。
三宅咲綺の父親・母親や家族構成は?
三宅咲綺選手の家族についても、いくつかのエピソードが報じられています。
特に、スケートを始めるきっかけとなった祖父と、練習を支えてきた両親の存在は大きかったようです。
母親はビクターからデビューした元プロ歌手
三宅選手の母親は、かつてプロ歌手として活動していた「のり子」さんです。
日刊スポーツの取材によると、15歳でスカウトされ、19歳でビクターからデビューした経歴を持っています。
オリコンチャートにランクインした実績もあり、出産後もライブ活動を続けていたそうです。
また、三宅選手が幼い頃からスケートの練習を支え、神戸への移籍時には長距離の送迎も行っていました。
母親の支えが、現在の三宅選手の活躍につながっていることがわかります。
父親も競技生活を見守っていた
父親については、名前や職業などの詳しいプロフィールは確認できませんでした。
ただし、三宅選手が試合で結果を出せずに苦しんでいた頃、競技をやめてもよいと声をかけたことがあったそうです。
一方、三宅選手自身は競技を続けることを選び、コーチの指導を受けながらスランプを乗り越えてきました。
祖父がスケートとの出会いを作った
三宅選手の人生に大きな影響を与えたのが祖父です。
バレエに興味を持っていた孫をスケートリンクに連れて行き、フィギュアスケートを始めるきっかけを作りました。
初めて滑った日に才能を認められたことで、クラブへの入会も後押ししています。
祖父の行動がなければ、現在の三宅選手の競技人生は違ったものになっていたかもしれません。
三宅咲綺の趣味は船釣り!船舶免許も持っている
三宅咲綺選手の意外な一面として、釣り好きであることも知られています。
シスメックスの公式プロフィールによると、趣味は釣り、料理、ポケモンカード集めです。
さらに、フィギュアスケート専門サイト「Deep Edge Plus」では、三宅選手の実家が船舶を扱う仕事をしており、本人も船舶免許を持っていることが紹介されています。
また、水族館巡りも好きで、過去の日刊スポーツの取材では15か所以上の水族館を訪れたことがあると紹介されていました。
フィギュアスケートの華やかなイメージとは違う、アウトドアな一面も魅力的ですね。
三宅咲綺はかわいいと評判!インスタや画像は?
三宅咲綺選手は、競技中の華やかな姿や自然な笑顔がかわいいと注目されています。
特に、振袖姿や私服などの写真にも関心が集まっています。
過去には自身のXで20歳の誕生日を報告し、振袖姿や幼少期の写真を公開していました。
また、現在の写真を確認したい場合は、所属先の公式Instagramやプロフィールページもおすすめです。
シスメックス フィギュアスケートチーム公式Instagram
競技中の姿と普段の写真では雰囲気が異なるため、さまざまな魅力を感じられるのではないでしょうか。
まとめ|三宅咲綺のwiki経歴プロフィールを調査!
今回は、フィギュアスケートの三宅咲綺選手について、wiki風プロフィールや学歴、幼少期から現在までの経歴を紹介しました。
調査した内容をまとめると、次のとおりです。
- 三宅咲綺選手は2002年11月23日生まれの23歳
- 出身地は岡山県倉敷市で、身長は154cm
- 出身高校は岡山理科大学附属高校
- 出身大学は岡山理科大学経営学部
- 小学1年生のときに祖父の勧めでフィギュアスケートを始めた
- 小中学校時代には試合本番で苦しむスランプも経験
- 2022年春、坂本花織選手との交流をきっかけに神戸へ移籍
- 2025年4月からシスメックスに所属
- 2025年には国際大会で初めて表彰台に上がった
- 2026年はけがから復帰し、GPシリーズ初出場を果たした
- 母親は元プロ歌手で、本人は船釣りやポケモンカード集めが趣味
三宅咲綺選手は、高校時代から全日本選手権に出場していた一方、けがやスランプなど多くの困難も経験してきました。
しかし、坂本花織選手との出会いや神戸への移籍をきっかけに成長し、20代に入ってから国際大会でも活躍するようになりました。
2026年には大けがを乗り越え、23歳でグランプリシリーズ初出場という大きな節目を迎えています。
これからさらに経験を重ね、どのような成績を残していくのか注目したいですね。
参考資料
- シスメックス公式・三宅咲綺プロフィール
- 日本スケート連盟・三宅咲綺選手プロフィール
- 岡山理科大学・三宅咲綺選手の大学時代の紹介記事
- 4years.・岡山理科大学の三宅咲綺、やっと見つけた自分らしいスケート
- 神戸新聞・三宅咲綺が23歳でGPデビューへ
- Deep Edge Plus・三宅咲綺選手情報
